優秀賞賞10作品-②

 立ち向かう力を
                タカヤマユウスケ

 「その日」教室は静まり返っていた。私は泣きながら黒板消しを右手に持ち、クラスメイトの制服はチョークの粉に塗れていた。

 大人になった今でもその光景は忘れることが出来ず、時折フラッシュバックすることがある。一種のトラウマのようになっているのだと思う。ここに書き出すことで、内面を可視化して少しはマシになるだろうか。そして、

 「自分の経験が誰かを励ましたりできれば」

と思う。

 私に対する「いじめ」が始まったのは些細なことだった。私はクラスメイトを笑わせることが好きで、前日テレビで見たお笑い番組や漫画本のネタを真似してはクラスで披露していた。

 今にして思えば興味のない人にとってはウザかったのではないかと思う。いつしか「ツッコミ」と称した私のいじりが始まった。髪の毛のうねりや二重顎、団子鼻などの外見をからかうものだ。

  授業中や休み時間、先生の目も憚らずにからかいは行われた。先生は注意するわけではなかった。いじってくる人たちは、その行為をじゃれあいだと説明していたからである。正直、助けて欲しかった。そんな中でも、私を助け、励ましてくれた友人はいた。いじってくる人たちは、友人がいるときは何もしなくなっていた。

 しかし、私の物が隠されたり、陰口を言われるなど、どんどん行為はエスカレートしていき、今まで無視して見過ごしてきたいじめが自分でも見過ごせなくなっていった。

 そしてある日、事件が起こった。いや、起こってしまった。

  休み時間中、私の座席の周囲にいじめグループが集まっていた。彼らは私の頭を触りながら「鳥の巣みたいだな」とくせ毛をからかった。その言葉を無視していると、彼らのうちの一人は私の筆箱を取り上げた。

 返してと頼んでも返してくれず、「だせえ筆箱だな」と言った。その筆箱は、母が買ってきてくれたばかりのものだった。私自身も正直カッコよくはないと思っていたが、赤の他人に、しかも私をいじめてくる人間にそんなことは言われたくなかった。

  私の母が貶められているような気持ちになり、私の中で何かが切れた。黒板に無言で歩いていき、黒板消しを持った。そして、筆箱を取り上げた人物の身体をこれでもかと黒板消しで叩いた。心からの憎しみを込めて叩いた。叩くたびに相手の身体はチョークの色に塗れていった。

  あと先なんてどうでもよかった。ただ母を侮辱した人間を懲らしめたい、その一心だった。

  彼らは一切反撃してこなかった。むしろ、彼らをはじめ、教室中の人間が言葉を失ってこちらを見ていた。私はいつの間にか涙を流していた。今思い出しても滑稽な姿だったと思う。その後の記憶はあまりない。騒ぎを聞きつけた教員が教室にやってきて別室に連れて行かれたのだと思う。

  その日は事情聴取が行われた。私は泣きながら今までの経緯を覚えている範囲で話した。
 
 その後、今回の一件はいじめが誘発したものとして加害者側に生徒指導が行われた。事態の終息の証としてなのか、加害者からの謝罪の場が設けられた。

  本心からの謝罪はないだろうと考えていたので、正直「意味があるのか」とは思った。半ば強制的にされられた握手も、相手の手の感触を直に感じて気持ち悪かった。こいつらが自分の前に現れないことが一番の謝罪だと考えていた。私も黒板消しで叩いた生徒に謝罪を行なったが、正直自業自得だと思っていたので謝罪の気持ちは薄かった。

 この事件を機に私へのいじめはバッタリと止んだ。いじめグループはよそよそしいものの、私に危害を加えてくることはなかった。きっと先生の指導が効果的だったのだとは思うのだが、私には一つ確信があった。私の反撃が彼らの中に強く残ったのではないか。

  彼らは、私がやり返してこないと考えていたのだと思う。私が言い返したり、何もしてこないから安心して攻撃できたのだと思う。一種の甘えだ。彼らに反撃したことによって、彼らは私に甘えることはできなくなった。対等な立場に立つことが出来たのだ。

 他人をいじめる人はいじめに理由をつける人が大半だと思う。

 「約束を守らないから」
 「嘘つきだから」
 「みんなと仲良くしないから」
 「不潔だから」
 「うざいから」
 「ブスだから」

 それらの理由を振りかざし、「いじめられる方にも原因がある」と言ってくるのだ。ある種のコミュ障なのではないかと思う。仮にいじめられる側に何かしら問題があるとしても、それは「対話」で解決すべきだ。それが出来ないのであれば黙って我慢するか逃げるしかないだろう。

  つまり、いじめは絶対的に悪なのだと思う。他人の権利を侵害してまで自分の気持ちを優先するのは自己中心的だ。

 いじめの被害者だった者として、今いじめで苦しんでいる誰かに伝えたいことがある。

「逃げてもいい」

 私はいじめをした側に報復をした。そのような行動により、いじめがエスカレートする可能性もあったが、私はそれでも行動を起こした。そうしなければ自分の大切なものを失ってしまうと思ったからだ。本来、私がそういう行動をする前に、周りの人間に助けを求めるべきだったと思う。

  しかし、狭い人間関係の中では、何が正しく、何が悪いのか、それが曖昧になっていたと思う。周りに助けを求めることが恥ずかしく、ずるいことだと思っていた。はっきり言って、そんな風に思うことやそんな状況は異常だ。周りに助けを求められないような環境からは逃げたほうが良いと思う。

 逃げた後のことを冷静になって考えると怖くなると思う。逃げて大変な思いをするのであれば、今を耐えれば大丈夫と思うかもしれない。命を守ってほしい。命よりも大切なものはこの世にない。

 それでももし、現状に立ち向かう力が残っている人や味方がいる人は、立ち向かうことも作戦だと思う。私のように、暴力的な行為を行うのではなく、あくまでも正攻法で、いじめをする側と戦ってほしい。勝てないかもしれないけれど、立ち向かった経験はあなたの中で何かを変えるきっかけになるかもしれない。

 



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